カメオの販売工房の、
ジョバンニ・アパ(Giovanni Apa)で、
カメオのピアスを買った後、

到着したのは、
ポンペイ(Pompei)遺跡です。
(※Wikipediaより)

11.6.1.11 ポンペイ遺跡  (2)













旅行の手書きのメモを紛失していて、
体調も最悪な期間と重なって、
ポンペイの事を調べて、仕上げるのに、
3日もかかってしまいました。

わからないままの写真も、いくつかありますが、
ご了承ください。

11.6.1.5 ポンペイ遺跡  (1)
ポンペイ遺跡の南西にある、
ポンペイ・スカーヴィ駅
(ヴィッラ・デイ・ミステリ駅)
近くのエセドラ広場の入り口から入りました。

ユネスコの世界遺産に登録されています。
11.6.1.5 ポンペイ遺跡  (2)

2,000年以上前の古代ローマ時代、
日本が弥生時代のころ、
地方都市のポンペイは ローマ帝国の商業都市
として機能し、2万人ほどの人口を抱えていました。

貴族たちのリゾート地としても栄えていましたが、
西暦79年8月24日にヴェスヴィオ火山の噴火 が発生。

火砕流によって一晩から2日ほどで都市が地中に
埋まってしまい、逃げ遅れた人々は
2,000人にも上るといわれています。

それから1,700年ほど経った18世紀に入ると、
井戸を掘っていた農民が大理石の柱を発見し、
付近の調査が始まります。

そして 1748年、古代の都市遺跡として
ほぼ完全な状態でポンペイが発掘 されました。

驚くべきは、劇場などの公共施設や市場、
道路標識や神話などが描かれた壁画など、
豊かな文明都市としての姿が
そのままの保存状態で発見 されたことです。

遺跡の劣化を止めるため、
ポンペイの修復作業が行なわれることとなります。

被害に遭った人たちの遺体は消失していましたが、
火山灰の空洞の部分に石膏を流し、石像として再現 することに。

ポルタマリーナ(マリンゲート)
Porta Marina
11.6.1.5 ポンペイ遺跡  (5)
ポンペイの入り口は、
ポルタマリーナという港の建物でした。

なぜ、こんな高台に海の港の建物があるのか?
疑問だったので、調べましたら、

紀元62年にポンペイに大地震が起きて、
地面が隆起し、甚大で壊滅的な被害を受けました。
それで、海の玄関口が、
このように高い所になったのでした。

逃げ出した町の人達が家に帰って来たら、
日本の阪神・淡路大震災や、東日本大震災の時のように、
泥棒が盗んでいったので、これ以上被害を受けないように、
町に残って復興に向けて頑張っている矢先に、

紀元79年に起きた、
ヴェスヴィオ火山の大噴火の大規模な火砕流で、
一瞬で埋まってしまったのでした。
この門は市の西へのアクセスを提供し、
ポンペイの 7 つの門の中で最も印象的です。

名前の由来は、
出口の道が海に続いていたことに由来します。
モルタルと石を混ぜたコンクリート製の
樽型ヴォールトを備えたレイアウトは、
新羅の植民地 (紀元前 80 年) にまで遡ります。

門には 2 つの円蓋があり、主なものはより高く、
馬や群れの動物の通行を目的としています。
小さい方は歩行者の通行を目的としています。

現在見ることができる市壁は、
紀元前 6 世紀にすでに設置されており、
長さは 3200 m を超えています。

それは通路を備えた二重壁で構成されており、
内側は堤防で保護されています。

平らな地形がポンペイをより脆弱にしていた
北側にさらに 12 の塔があり、防御が保証されました。

ローマの軌道内に
都市の決定的な入口ができたことで、
城壁の重要性が低下し、
住宅を建てるために再利用されたり
破壊されたりすることもありました。

発掘日: 1862 ~ 1863 年。

11.6.1.5 ポンペイ遺跡  (6)

11.6.1.5 ポンペイ遺跡  (7)



ポルタマリーナの右隣にある、
白い枠のある新しい建物は、
ポンペイ古代水族館
(Antiquarium of Pompeii)
です。
11.6.1.5 ポンペイ遺跡  (3)

ポンペイ古水族館は、
1873年から 1874 年にかけて、
ポルタ マリーナを見下ろすヴィーナス神殿の
テラスの下のエリアに
ジュゼッペ フィオレッリによって建設されました。

郊外の浴場
11.6.1.5 ポンペイ遺跡  (8)

郊外の浴場は、マリーナ門のすぐ下に位置していて、
外壁
に跨って造られていましたが、
紀元前1世紀を通じて最終
的にその機能を失いました。

スタビアの浴場(参照ページ
95)や
フォロの浴場(参照ページ84)と違い、
郊外の
浴場は私設の浴場でした。

脱衣場(ポディテリウム)には官能的な主題の
小作品が残
り、上の階で行われていた商売、
おそらくは売春を宣伝し
ていました。

このようなケースは、浴場ではしばしば
不法
で行われていました。

浴場の他の空間は見事な装飾で飾られていました。
水の小さなプールでは、
マルスに武器を渡すキューピッ
ドたちを描いた
モザイクで飾られた作り物の洞窟から水
が注がれ、
壁面には海戦の場面や
海の動物たちが描か
れていました。

暖められた部屋の区画には、
通常の低温から高温までの
空間の他に、
奥に据えられたブロンズ製の火鉢で
温めら
れた水を使用した温水プールもありました。
発掘時期: 1960; 1985-1988

ヴェスヴィオ火山が見えています。
こんなに遠いのに、大規模な火砕流で、
一瞬で埋まってしまったんですね。

11.6.1.5 ポンペイ遺跡  (10)
ポルタマリーナ(マリンゲート)
Porta Marina

11.6.1.5 ポンペイ遺跡  (4)
ポルタマリーナ(マリンゲート)Porta Marina
と通って行ったと思います。
建物にあるトンネルです。

11.6.1.5 ポンペイ遺跡  (12)



11.6.1.5 ポンペイ遺跡  (11)
最古の街(サムニウム期)です。
11.6.1.5.  ポンペイ遺跡  (12)

11.6.1.5 ポンペイ遺跡  (9)
途中から、雨模様になりました。
11.6.1.5.  ポンペイ遺跡  (14)

11.6.1.5.  ポンペイ遺跡  (15)

11.6.1.5.  ポンペイ遺跡  (16)



フォロ
11.6.1.5 ポンペイ遺跡 11.6.1.5 ポンペイ遺跡 ポンペイのフォーラム  (17)
イタリア語でフォロは、
ラテン語のフォルムが語源で、
フランス語、ドイツ語ではフォーム、
英語でフォーラム、
公共の広場という意味で、
ポンペイの大広場です。
フォロの広場の周りに神殿が、たくさんあります。

フォロ
市民のフォロは市民の日常生活の中心の場で、
これに面してすべての公共の建物が並び、
町の運営、司法による裁き、事業の管理、
市場などの商取引が行われたほか、
町の信仰の場でもありました。

フォロの広場はもとは打ち固めた地面で
ほぼ定型の単純な開放空間で、
西側でアポロンの聖域に隣接し(参照ページ 83)
東側には商店が並んでいました。

フォロは紀元前3から2世紀にかけて
根本的に造り直され、正確な形と凝灰岩の
スレートを敷き詰めた床を持ち、
回廊に囲まれた姿に返信しました。

広場の中心軸はヴェスヴィオ山を結ぶ直線状にある
ジュピター神殿(参照ページ87)の
ファサードを起点に引かれました。

帝政時代の初期に、フォロの床は
新たにトラヴァーチンで敷き直されました。

このうち幾つかの敷板は取り払われて、
できた窪みには重要な碑文を刻んだ
ブロンズ製の板が嵌め込まれました。

この部分の発掘はマリー・カロリーヌ・ボナパルテの
希望で開始されて間もなく、
すでに古代に盗掘されたいたことが判明しました。
発掘時期: 1813.

アポロン神殿
11.6.1.5 ポンペイ遺跡 11.6.1.5 ポンペイ遺跡 ポンペイのフォーラム  (16)
柵で覆われている敷地が、アポロン神殿です。

神殿左側にあるアポロの嫁の
ディアナの像
11.6.1.5 ポンペイ遺跡 11.6.1.5 ポンペイ遺跡 ポンペイのフォーラム  (18)

11.6.1.5 ポンペイ遺跡 アポロン神殿  (26)

11.6.1.5 ポンペイ遺跡 アポロン神殿  (27)




アポロン神殿
11.6.1.5. ポンペイ遺跡 アポロン神殿  (24)

11.6.1.5. ポンペイ遺跡 アポロン神殿  (25)

バジリカ
11.6.1.5. ポンペイ遺跡 アポロン神殿  (27)


バジリカ Basilica Pompeiana
延べ面積1500平方メートルに及ぶバジリカは、フォロ(参
照ページ 84)の区域で最大の建物で、裁判や商取引
に使われていました。
フォロから凝灰岩の柱の間に開いている5つの入り口を
通じて中に入ることができ、内部はレンガでできたイオニ
ア式の柱頭を持つ2列の円柱によって3つの廊に分かれ
ています。  西に面した短い方の側面の中央には見事
な装飾を施した特別席があって、裁判の際にはここに司
法官たちが座りました。 空間には騎馬像が置かれ、壁面
は大きな大理石のブロックを模したスタッコ装飾で豊か
に飾られています。
バジリカの建設時期は紀元前130-20年頃と推定され、こ
のタイプの建築としては、古代ローマ世界の中でも最も
古い建物の一つです。19世紀にフォロの区域で発掘調
査が始まった時代にこの建物も掘り出されました。
発掘時期: 1806; 1813; 1820; 1928; 1942; 1950.

ポンペイ遺跡ガイドより
フォロ
11.6.1.5. ポンペイ遺跡 アポロン神殿  (26)
フォロ
11.6.1.5 ポンペイ遺跡 11.6.1.5 ポンペイ遺跡 ポンペイのフォーラム  (20)



11.6.1.5.  ポンペイ遺跡 フォロ  (22)

11.6.1.5 ポンペイ遺跡 11.6.1.5 ポンペイ遺跡 ポンペイのフォーラム  (23)
フォロ
11.6.1.5.  ポンペイ遺跡 フォロ  (24)
ジュピター神殿
(Tempio di Giove)
ヴェスヴィオ火山

11.6.1.5 ポンペイ遺跡 11.6.1.5 ポンペイ遺跡 ポンペイのフォーラム  (21)

ジュピターの神殿はフォロの北側を占め、
その後ろには
まるで映画の背景のように
ヴェスヴィオ山が聳えていま
す。

ローマの植民都市に組み入れられてから(紀元前80年)、
神殿には大きく手が加えられて
正真正銘のカピトリウム
に生まれ変わり、
ジュピター、ユノー、ミネルヴァの三神の
像が祀られ、
ローマのカピトリウムに準じて整備されまし
た。

高い基壇の上に建ち、フォロを通る
誰の目にも入る建
築でした。

新たな工事によって聖像安置室が延長され、
床には大理石製の立派な装飾が施されました。

基壇にはファビサエと呼ばれる地下室が造られ、
本来は
神々に捧げられた奉納物を収める空間でした。

幾つかの
研究成果によれば、
この空間はその後町の公共の財産を
保管するのに使われたと言われています。

ルシウス・セ
シリウス・イヨコンドゥスの家の
ラル神の祭壇にあるレリ
ーフによって、
カピトリウムの基壇の左右には2体の騎馬
像が
置かれていたことが判ります
(参照ページ 51)。
発掘時期: 1810; 1816; 1820.
エウマキア館
Edificio di Eumachia

11.6.1.5 ポンペイ遺跡 エウマキア館 (29)
エウマキア館
11.6.1.5. ポンペイ遺跡 エウマキア館 (33)

アウグストゥスの調和の回廊(エ
ウマキアの建物)
フォロの東側部分で最も大
きなこの建物は、ポンペイ
の裕福な家柄の出身で女
神ヴィーナスを祭る女祭司
であったエウマキアが皇帝
を礼賛のために建てさせた
ものです。
入口の手前にある柱廊の
下には、かつてはポンペイ
の金持ちや重要人物の像
が並び、大きなポルタイユの両脇、ニッチの下には今で
もロムルスとアイネイアスに向けた二つの称賛の詩が、
彼らの英雄的な行為を列挙しながら刻まれています。 ポ
ルタイユの縁を飾るアカンサスの葉の唐草模様とそれに
集まる動物たちの、大理石による豊かな装飾はフォロで
発見され、誤ってここに付けられましたが、実際は近くに
あるアウグストゥスの守護神の神殿にあったものです(参
照ページ 93)。
内部には三方に伸びる柱廊があって、東側の短い翼には
三つのエクセドラが配され、中央の大きいエクセドラに
は、現在ナポリの考古学博物館に保存されているアウグ
ストゥスの調和の像が納められていました。 この柱廊の
後ろ側にはこれも三方に伸びる屋根付きの廊下があっ
て、中央にエウマキアの像が置かれていました。現在置
かれているのはコピーで、実物はな
当時の見事な多色大理石による装飾は、フォロの他の建
物と同様、噴火の後間もなくすべて持ち去られてしまい
ました。
発掘時期: 1814; 1817; 1836.
見学しているどこかで、火砕流で焼かれて、
人間が焼けた空洞や、白骨化した空洞に、
石膏を流し込んだ、ご遺体の展示がありましたが、
ご遺体を撮影する気にならず、写しませんでした。

雨が降りましたが、小雨で、激しく降らなかったので、
助かりました。




20.11.7  (27)
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20.11.7  (30)
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